~斎宮ではじめて亡くなった斎王「隆子女王」~

日本遺産のまち「明和町」の魅力発見
醍醐天皇の皇子・章明親王の第一王女。円融天皇の斎宮として969年にト定、翌年に群行が行われました。しかし当時、流行していた疱瘡(天然痘)にかかり、斎宮でなくなられました。この時の疱瘡は89日間におよび、多くの死者を出したことが歴史書にも記されています。わずか在位4年で病死されたため、都に帰ることはなくこの地で手厚く葬られました。隆子女王の墓は木々が生い茂り、現在も清楚なたたずまいを見せています。